佐瀬寿一インタビュー*Part2

ーーしばらくは新人作家として、アルバム曲やシングルのカップリング曲を担当していたと。

佐瀬 小沢音楽事務所ってあるでしょ。その系列に音楽出版社で音楽出版ジュンアンドケイという会社があるんです。そこに大学の先輩がいたの。原澤(智彦)さんっていう、歌手の宮前ユキさんの旦那さん。

ーー渡哲也の『浮浪雲』(テレビ朝日)主題歌「Give Up」を歌ってる、カントリーシンガーの方ですね。

佐瀬 原澤さんに紹介されて、宮前さん(「旅立ち」ほか)、ダ・カーポ(「川風吹く街」ほか)、ちゃんちゃこ(「ひとりぼっちのギター」ほか)の曲を頼まれて書いてて。いい曲書くねえって誉められたよ。あと、GSのオックスが解散して、そこのベースの人(福井利男)が作ったピープル(ローズマリーの前身)ってバンドがあって。「恋人たち」(72年/ワーナーパイオニア)っていうデビュー曲は、筒美京平さんと橋本淳さんなんだけど。「曲作ってみる?」って言われて、自分で言うのもなんだけどすごくいい曲ができた。「13月の森」っていう。でも、筒美さんと橋本淳さんが相手じゃ、A面にはならないだろうなって(笑)。そういうところで鍛えられたんです。

ーーもっぱらB面曲ではありましたが、一線級のアーティストと仕事していたわけですね。

佐瀬 ジュンアンドケイの代表の松村慶子さんの旦那さんが、ポリドールのプロデューサーだったのね。松村孝司さんっていう、タイガース「僕のマリー」とかの初期のディレクター。その方には“むつひろし”ってペンネームがあって、「グッドナイトベイビー」(ザ・キング・トーンズ)とか書いてる人なのよ。石川セリ「八月の濡れた砂」とか、ディレクターなんだけど名曲をたくさん書いてるの。この人が「百叩きの会」ってのをやってたのね。一種の梁山泊。2週間に1回とか、若手が集まってコンペやってた。放送作家で、作曲もやってますみたいな人とか。マニアックな曲書いてくる人もいたけど、僕はどっちかというとウケてナンボというところがあるんで。

ーー作曲千本ノックみたいな。

佐瀬 今度この人の曲やるからって、初めて僕が採用されたのが、ザ・キング・トーンズ「天気予報がはずれたら」(74年)。あれが作曲家として初めてシングルA面になった。この曲は曲先で、岡田冨美子さんの詞ははめ込み。岡田さんは当時、NHK『ステージ101』(70〜74年)とかで書いてる売れっ子でね。

ーー当時はまだ、ほとんどの新人作曲家が、先生の鞄持ち(書生)から始めてた時代。佐瀬さんはアシスタント経験もまったくなく、デビューできたわけですね。

佐瀬 そうだね。師匠なしの弟子なし。

ーー同世代で意識していた作家はいましたか?

佐瀬 そうだなあ。林哲司さんとかが同世代かな。あと佐藤健さんって、大橋純子さんの旦那さん。彼女の「シンプル・ラブ」、「クリスタル・シティー」、「サファリナイト」とかを書いてる。

ーーこの後、グラシェラ・スサーナにも書き下ろし曲があってビックリしました。

佐瀬 グラシェラ・スサーナも小沢音楽事務所なのよ。あそこは菅原洋一さんがいて、元々洋楽やってた人が多かったから。

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音楽出版ジュンアンドケイ……小沢音楽事務所の小沢淳と、元ポリドールの女性ディレクターだった松村慶子が設立した音楽出版社。リリィ「私は泣いています」、桑名正博「セクシャルバイオレットNo.1」、森田童子「ぼくたちの失敗」、欧陽菲菲「ラヴ・イズ・オーヴァー」などがヒット。ライヴハウス「ルイード」の経営や、TM NETWORKのマネジメントも。

松村孝司……作曲家。ポリドール洋楽部ディレクターから邦楽制作に。在籍時にはザ・キング・トーンズを担当。作曲家として、石川セリ「八月の濡れた砂」、左卜全とひまわりキティーズ「老人と子供のボルガ」、さくらと一郎「昭和枯れすすき」などの大ヒットを生んだ。

ーーそんな歌謡界の王道路線と別に、エレックレコードという当時の鬼っ子だったフォークレーベルと関わりがありますよね。そこから最初のヒット曲、ずうとるび「みかん色の恋」がリリースされます。

佐瀬 ネム(ヤマハ音楽院)のときの友達が、たまたまエレックでディレクターやってたんです。タケちゃんっていう。

ーー吉田拓郎さんのバックバンド、マックスのベーシストだった山口剛さん。愛レーベルのディレクターだったんですよね。

佐瀬 そうそう。歌謡曲のレーベルだから、実はそっちしか付き合いないの。ずうとるびは当初別の作家がいたらしいんだけど、事情があったようで「ダメ元でやってみる?」って声がかかって。ちびっこ大喜利(『笑点』)で名前は知ってたから。そしたら運良く、2曲書いたら2曲とも採用された。2曲あるから分けようってことで。

ーー「恋のパピプペポ」と「みかん色の恋」(ともに74年)。

佐瀬 そう。詞は誰にしようかって話になって、「天気予報がはずれたら」で組んだことあったから、岡田冨美子さんで。タケちゃんも岡田さんを知ってたし。

ーー「みかん色の恋」はどれぐらいのヒットに?

佐瀬 20万枚ぐらいかな。エレックじゃなかったらもっと売れてたと思う(笑)。

ーー愛レーベルというと、まりちゃんズも有名ですよね。

佐瀬 実はずうとるびのアルバムは全部、作編曲なの。どういうわけかシングルだけは「恋のパピプペポ」、「みかん色の恋」とも、編曲は竜崎孝路さんなんだけど。当時は天地真理やってた売れっ子だよね。どっちかというと僕はマニアックなアレンジしてたから、アルバムは結構アナーキーなのよ。それ聞いてまりちゃんズをやってくれないかと。曲は彼らが書いてるから、アレンジだけやってる。「尾崎家の祖母(ばばあ)」(75年)なんかは僕がアレンジやってるんだよね。

ーーJASRACには編曲クレジットがないので、佐瀬さんの知らない仕事いっぱいありそう。

佐瀬 ニック・ニューサーって知ってる? 彼らのもアレンジだけやってますね。「サチコ」のカップリングとか。「ダンシング」は作編曲もやってる。

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エレックレコード……岡林信康のURCと並ぶ、日本のフォークレーベルの始祖。音楽通信教育のエレック社を母体に、69年設立。吉田拓郎、泉谷しげる、ケメ(佐藤公彦)らを大ヒットさせた。後に大滝詠一のナイアガラレーベル、アイドル専科の愛レーベルなどのサブレーベルが生まれた。

#音楽出版ジュンアンドケイ #松村孝司 #エレックレコード

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